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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)234号 判決

原告 南慶一

被告 高等海難審判庁長官

代理人 小池晴彦 及川まさえ ほか三名

主文

一  高等海難審判庁が同庁平成三年第二審第二五号漁船第八優元丸貨物船ノーパル・チェリー衝突事件につき平成四年一一月二七日言渡した裁決中主文第一項に係る部分の取消しを求める原告の訴えを却下する。

二  右裁決中主文第二項に係る部分の取消しを求める原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  高等海難審判庁が同庁平成三年第二審第二五号漁船第八優元丸(以下「優元丸」という。)貨物船ノーパル・チェリー(以下「ノーパル号」という。)衝突事件(以下「本件事件」という。)につき平成四年一一月二七日言渡した裁決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文第一、第二項同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は優元丸の船長であり、本件事件の受審人である。

2  高等海難審判庁は本件事件につき同四年一一月二七日別紙裁決(以下「本件裁決」という。)を言渡した。

3  本件事件に係る衝突(以下「本件衝突」という。)の事実関係は、本件裁決理由中の「(事実)」欄の記載のとおりである。

4  優元丸は、海上衝突予防法(以下「法」という。)一三条一項に規定する追い越される船舶であるから、次のとおり後方の見張りを行い、警告信号を行い、衝突を避けるための協力動作をとる義務はないにもかかわらず、優元丸の船長である原告が無資格の船橋当直者に対し周囲の見張りについて指示を与えなかったことと、船橋当直者が後方の見張りを行わなかったことが本件衝突の一因をなすとし、右指示を与えなかった原告には職務上の過失があるとしてこれを戒告した本件裁決は違法である。

(一) 法一三条一項は、この法律の他の規定にかかわらず、追越し船に避航義務があり、追い越される船舶には避航義務がないと規定しているから、追い越される船舶は、原則として、後方の見張りを行い、警告信号を行い、衝突を避けるための協力動作をとる義務はない。そして、優元丸は法九条四項に規定する狭い水道等において追い越されたのではないから、優元丸及び原告に義務違反はない。

(二) 本件衝突当時、天候は晴で、視界は良好であったから、優元丸は、ノーパル号が追越し船の避航義務を遵守し、衝突を避けるための動作をとるものと当然に信頼していたのであり、優元丸及び原告に義務違反の責を問うことはできない。

二  被告の本案前の申立の理由

本件裁決中主文第一項に係る部分は、海難審判法四条一項の規定に基づき海難原因を明らかにしたにとどまり、原告の権利義務関係に直接影響を及ぼすものではないから、行政事件訴訟法三条にいう行政庁の処分又は裁決にあたらない。

したがって、本件裁決中主文第一項に係る部分の取消しを求める原告の訴えは不適法である。

三  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1ないし3は認める。

2  同4は争う。ただし、優元丸が法一三条一項に規定する追い越される船舶であり、ノーパル号が同条に規定する追越し船であることは認める。

3  本件裁決は適法である。

優元丸は、法一三条一項に規定する追い越される船舶であるが、次のとおり後方の見張りを行い、警告信号を行い、衝突を避けるための協力動作をとる義務があり、優元丸の船長である原告が船橋当直者に対し周囲の見張りについて指示を与えず、船橋当直者が後方の見張りを行わなかったことが本件衝突の一因をなし、右指示を行わなかった原告には過失があり、これを戒告すべきであるから、本件裁決は適法である。

(一) 法一三条一項は、この法律の他の規定にかかわらず、追越し船に避航義務があると規定しているが、避航に関しては、同項が法の他の規定に優先して適用されることを定めたにとどまるものであり、追い越される船舶について、原則として同条の避航義務がないとしているとしても、その他の追い越される船舶としてとるべき措置・動作に関する法五条、一七条各項及び三四条五項の各規定の適用を排除するものではない。したがって、追い越される船舶は、見張りを行い(法五条)、警告信号を行い(法三四条五項)、衝突を避けるための協力動作をとらなければならない(法一七条各項)。優元丸及び原告には右義務違反がある。

(二) 本件衝突当時、天候は晴で、視界は良好であったが、優元丸は、ノーパル号が避航義務を遵守していないことを早期に知り得たのであるから、右義務を遵守すべきであったというべきであり、ノーパル号が衝突を避けるための動作をとると信頼したとしても、優元丸及び原告は右義務違反の責を免れない。

第三証拠関係〈略〉

理由

一  請求原因1ないし3は、当事者間に争いがない。

二  本件裁決中主文第一項に係る部分は、海難審判法四条一項の規定に基づき海難原因を明らかにしたにとどまり、原告の権利義務関係に直接影響を及ぼすものではないから、行政事件訴訟法三条にいう行政庁の処分又は裁決にあたらない。

したがって、本件裁決中主文第一項に係る部分の取消しを求める原告の訴えは不適法である。

三  そこで、本件裁決中主文第二項に係る部分の適法性について判断する。

1  法の規定について

法一三条一項は、追越し船は、この法律の他の規定にかかわらず、追い越される船舶を確実に追い越し、かつ、その船舶から十分に遠ざかるまでその船舶の進路を避けなければならないと規定する。「この法律の他の規定にかかわらず」、追越し船に避航義務があるとする同項の規定は、船舶が法一八条(各種船舶間の航法)一ないし三項、九条二、三項、一〇条六、七項の規定により進路を避けてもらえる船舶であっても、追越し船になる場合には、同条が最優先に適用され、避航義務があることを定めたものであることは明らかである。同項は、原則として追い越される船舶には同条の避航義務がないとしていると解されるが、避航以外の追い越される船舶としてとるべき動作に関する法の各規定の適用を排除したものとは解されない。したがって、追い越される船舶についても、法五条、三四条五項及び一七条各項(追い越される船舶は同条にいう保持船である。)の規定が適用されるというべきである。

法五条は、船舶は、他の船舶との衝突のおそれについて十分に判断することができるように、常時適切な見張りをしなければならないと規定し、法三四条五項は、互いに他の船舶の視野の内にある船舶が互いに接近する場合において、他の船舶が衝突を避けるために十分な動作をとっていることについて疑いがあるときは、直ちに急速に警告信号を行わなければならないと規定し、法一七条三項は、保持船は、避航船と間近に接近したため、当該避航船の動作のみでは避航船との衝突を避けることができないと認める場合は、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなければならないと規定する。

したがって、優元丸の船長である原告は、右各規定を遵守すべきであった。

2  本件衝突の事実関係について

本件衝突の事実関係が本件裁決理由中の「(事実)」欄の記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。これを要約すると次のとおりである。

優元丸は、昭和五六年一一月かつお竿釣り漁業用に建造された全長三三・二五メートルのFRP製漁船で、船体後部に船橋があり、船橋最上部に操舵室、同室下に機関室、船橋と船首楼との間に五個に区画された魚倉、機関室後方の上甲板上にサロン、船員室、賄室などが配置されており、同甲板下にも船員室が設けられていた。

操舵室内には、その前面から約一メートルの幅で、両舷側間に高さ約一メートルの台板が取り付けられており、操舵スタンド、レーダー等の機器類が同台板に埋め込まれていたので、船橋当直者は、機器類の間に座って前路の見張りをすることが多かったが、その場合後方が後部囲壁で見通すことができない構造となっていたことから、後方の見張りをするときには、同台板から下りたうえ、操舵室外の左右舷甲板に出て後方を見回す必要があった。

優元丸は、船長である原告ほか一四名が乗り込み、かつお一本釣り漁業の目的で、平成二年六月七日午前七時金田湾内北下浦のえさ場を発し、八丈島東方沖合の漁場に向かった。

原告は、自ら運航の指揮に当たって東京湾を南下し、同八時四〇分ころ野島崎灯台から南八七度西七海里ばかりの地点に達したとき、船橋当直を谷口操舵手に任せることとしたが、外洋においては後方から接近する船舶が避航するものと思い、操舵室外の左右舷甲板に出て後方の見張りをするなど、周囲の見張りについてなんらの指示を与えることなく、同灯台に並航したあたりで針路をほぼ目的地に向く南四〇度東に定めるよう告げたのみで、操舵室後方の自室に退いて休息した。

谷口操舵手は同九時一〇分ころ船橋当直を山倉漁労長と交替したが、原告から見張りについてなんらの指示も与えられていなかったことから針路を引き継いだのみであった。山倉漁労長は同日午後零時ころ船橋当直を久保野操舵手に引き継いだが、原告の指示がなかったことから針路を告げたのみであった。

久保野操舵手は、無資格者であったが、右のとおり見張りについてなんらの指示の引継ぎを受けることなく、同日午後零時ころ単独で船橋当直に就き、操舵室前部の台板上に上がり、操舵スタンドと左舷側レーダーの間に位置して、同台板上にあぐらをかいた姿勢で前路の見張りに当たり、優元丸は約一一・二ノットの航力で自動操舵により進行したが、その後、久保野操舵手は、操舵室外の左右舷甲板に出て後方を見回すなど、後方の見張りをすることなく進行中、同一時二分ころ操舵室左舷側後方の出入口を出てこれに続く階段から船首方の左舷側上甲板に赴き、死魚を取り除くとともに各魚倉内の生きいわしの状況を点検し、同時五分ころ逆経路を通って昇橋した。

久保野操舵手は、昇降の際も昇橋後も後方を見回すことなく、再び降橋前の位置に戻り、あぐらをかいた姿勢で前路の見張りに当たったところ、同一時六分ころ右舷正横後約四点二海里ばかりにノーパル号を視認し得る状況となり、その後同船が自船を追い越す態勢で接近したが、依然後方の見張りが不十分で、これに気付かず、同船に対して警告信号を行うことも、間近に接近したとき機関を停止するなど衝突を避けるための協力動作をとることもないまま続航中、同一時三〇分北緯三四度一三・五分東経一四〇度二七分の地点において、原針路、全速力のままの優元丸の右舷船尾部に、ノーパル号の船首が、後方から約一四度の角度で衝突した。

優元丸は、衝突と同時に左舷側に傾斜して転覆し、船体が前後に二分されて船橋部を除く船体後部は瞬時に沈没し、船体前部は船首部を上に向けた状態で暫時浮上していたものの、間もなく衝突地点付近で沈没し、原告を含む乗組員四人が負傷し、一一人が行方不明となった。

当時、天候は晴で風力一の東南東風が吹き、視界は良好で、衝突地点付近には南東方に向かう微弱な海流があった。

原告は、外洋においては後方から接近する船舶が避航するものと思い、無資格者である船橋当直者の久保野操舵手に対し、操舵室外の左右舷甲板に出るなどして周囲の見張りを行うよう指示しなかったものである。

3  適法性について

右2の事実によれば、本件衝突は、優元丸が、後方の見張りが不十分で、ノーパル号に対して警告信号を行わず、同船が間近に迫ったとき機関を停止するなど衝突を避けるための協力動作をとらなかったこともその一因をなすものであり、優元丸の動作が適切でなかったのは、原告が船橋当直者に対し周囲の見張りについて指示を与えず、船橋当直者が後方の見張りを行わなかったことによるものというべきである。

そして、原告には、船長として、無資格者に船橋当直を行わせる場合、船橋当直者に対し、後方から接近するノーパル号を見落とさないよう、操舵室外の左右舷甲板に出るなどして、周囲の見張りを行うよう指示すべき注意義務があったのに、これを怠った職務上の過失があるというべきである。

原告は、ノーパル号が追越し船の避航義務を遵守し、衝突を避けるための動作をとるものと当然信頼していたので、原告に義務違反の責任を問うことはできないと主張する。

しかし、追越し船が避航義務を怠る場合のあることは当然予想されるところであり、それによる事故を予め避けるためにも、追い越される船舶としてとるべき動作を定めた前記規定が設けられていると解されるのであり、これに基づき原告としては右注意義務があったものであって、原告が外洋においては後方から接近する船舶が避航するものと思っていたとしても、直ちにいわゆる信頼の原則が適用されるものではなく、本件衝突当時、天候は晴で、視界は良好であり、同日午後一時六分ころには優元丸の右舷正横後約四点二海里ばかりにノーパル号を視認し得る状況であり、右注意義務を果たすことは容易であったのであるから、原告は右注意義務違反による責任を免れるものではない。

したがって、本件裁決中原告を戒告した主文第二項に係る部分は適法である。

四  よって、本件裁決中主文第一項に係る部分の取消しを求める原告の訴えを却下し、本件裁決中主文第二項に係る部分の取消しを求める原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久 大前和俊 武田正彦)

別紙裁決〈略〉

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